7月 今月のたまきはる言葉
七夕(しつせき)
憶(おも)ひ得たり少年(せうねん)にして長く乞巧(きつかう)せしことを
竹竿(ちくかん)の頭上(とうしよう)に願絲(ぐゑんし)多し
白居易
「七夕」は今日では「たなばた」と読むほうが普通である。「乞巧する」は芸が上達するよう祈るの意。「願絲」は江戸時代には「がんし」と読んでいる。これは、五色の糸を竹の竿の先に掛け、梶の葉などに願いごとを書きつけてその糸につけたもの。「たなばた祭りの宵に竹竿の先のほうに願いの糸をたくさんつけ、少年少女が学問ができるように、裁縫が上達するように、などと祈っているのを見るにつけ、私もむかし同じようにしたことを思い出す」という大意である。
このごろでは「七夕」は商店街の宣伝に使われて、個人の家で行うことは少なくなってしまった。
私が子供のころは、田舎の家ではどこでも(糸は使わないが)竹に願いごとを書いた色紙をつるし、牽牛と織姫の形を切って掛けたものだった。村の古老から私などもその切り方を習い、今もそれを切ることができるが、村ではもうそれを切ることのできる人は少なくなった。
この風習は中国から来たもので、この白居易(白楽天とも呼ぶ)の詩はその証拠になる。千年ほど前の日本で朗読用に作られた「和漢朗詠集」の読みを写したもの。その原詩は中国では失われてしまって、日本にのみ残っている断片だという。一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日という五つの節句のうち、今日では七月七日はほとんど消えつつあり、九月九日は完全に忘れられている。
−「たまきはる」は命の枕詞。「たま」は魂、「きはる」は刻む、または極まるの意 −
志村正雄「たまきはる言葉」より
夏鹿(左)(部分)
竹内栖鳳
昭和11年