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インタビュー

「燕子花と紅白梅」の魅力

対談 辻惟雄さん × 河野元昭さん

辻惟雄(つじ・のぶお)

美術史家、東京大学・多摩美術大学名誉教授。1932年名古屋生まれ。専門は日本美術史。奇想、装飾性、遊戯性など、従来あまり注目されなかった日本人の美意識の発掘を行う。日本美術の特質として、「かざり」「あそび」「アニミズム」の3つを挙げている。『奇想の系譜』『日本美術の表情』『岩佐又兵衛』など著書多数。

河野元昭(こうの・もとあき)

美術史家、静嘉堂文庫美術館館長、東京大学名誉教授。1943年東京生まれ。専門は日本近世絵画史。文献を丹念に読み、論拠をこつこつと積み上げてゆく手堅さが身上。人柄は気さくで豪快。ブログ「饒舌館長」は必見。『北斎の花』『日本美術史入門』など著書多数。




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「燕子花と 紅白梅」の魅力


現代の私たちにとって、琳派とは何でしょうか。

ほとんどの日本人が失ってしまった「和の伝統」「和の美」を思い起こさせてくれるのが、琳派です。つまり、日本語を話す日本人が生んだ芸術であるのにも関わらず、美術館で鑑賞する以外、日常の場でそういうものに接することがない。われわれの暮らしはほとんど西洋から輸入された生活用具で固められているのです。

和の美は琳派に限定されるものではありませんが、それを視覚的に一番鮮やかに印象深く見せてくれるのが琳派です。昭和の初期までは多くの家に床の間があり、掛軸があり、屛風がありました。屛風のような日常の生活と深く結びついた調度品などにも、四季絵が描かれました。もちろん中国の水墨画にも四季絵はありますが、日本人ほど四季と色彩表現とを結びつけている民族はいないと思います。琳派の屛風を見ればそれがよく分かります。

河野
日本の美も、もとを辿ると中国にあることは否定できませんが、それをいかにジャパナイズしたか。私の結論だけを言えば、いかに“たおやめぶり”にしたかが日本の文化であると思っているのです。“たおやめぶり”の文化は非常に女性的で、繊細な四季の変化と結びついています。琳派はまさにそれを象徴している。対照的に、中国の文化は男性的な力強さがある“ますらおぶり”だと思うのです。

今後日本人が琳派の美意識をどう受け継いで、どのようにいかしていくかが重要になるのです。
尾形光琳筆 国宝「燕子花図屛風」 江戸時代 18世紀 根津美術館蔵

琳派は日本人のDNA


今は畳のない住居が増え、和の美を暮らしに取り入れることが難しくなっています。

河野
形式的にいかすのは不可能ですが、精神のありようとして、日本人のDNAには琳派的なものが組み込まれていると思います。海外で活躍しているファッションデザイナーのコシノジュンコさんは、あえて琳派の影響を受けてやってきたわけではないけど、やっぱり日本人だと思えるのは、長年仕事をしていると琳派に到達するということで、世界からみるとうらやましがられる感性だと思う、と話しています。

琳派の瑞々しい美意識は、知らず知らずに、美術・工芸・建築・庭園から衣装・料理・菓子などの幅広い領域に影響を及ぼしているのです。その中で重要なことは装飾性です。辻さんどうですか。

装飾性は日本美術の一番の特徴です。日本人が昔から使ってきた「かざり」という言葉は生活一般の中で使われています。美術だけでなく祭礼にも、演劇にも、食の中にもある。荘厳のかざりとは、神仏のおわす空間をかざるもの、あるいは神仏を喜ばせるためにいろんなかざりの工夫を凝らしてお見せし、人間も一緒に楽しむのが本来の祭礼の形でしょう。それなのに、「かざり」はあってもなくてもいいものだと思われがちで、教授のことを「おかざり」とバカにしたりする(笑い)。

河野
装飾の真の目的は、かざることによって生活を豊かにすることです。それがなければ、心は貧しいのに、ただお化粧だけがうまい女性のようになってしまいます。「装」という字をよく見ると、「衣」が入っているでしょう。身ぎれいに装って、素晴らしい日常を送ることなのです


美の世界から出るオーラを感得する


「燕子花図屛風」と「紅白梅図屛風」についてお話ください。

河野
これは、だれもが認める尾形光琳の二大傑作です。それが56年ぶりに同時展示されるのですから、ビッグニュースです。

画風や落款などからみて、紅白梅図を描いたのは最晩年でしょうけれど、燕子花図はその15年ほど前、元禄14年(1701)44歳か、翌年頃の作と考えられています。

紅白梅図ほどの強烈さはないとはいえ、燕子花図もまた装飾性と実在感という、相反する要素をうまく両立させています。花びらの優しさ、葉先の鋭さ、根元の確かさといった実在感のすぐれた写生は、デザインという言葉ではくくりきれない、光琳の高度な自然観察力と描写力の証でもあると私は考えています。

紅白梅図は、観ていると光琳自身の心情の投影なのか、あるいはもっと普遍的な人のありようなのかは分からないけれど、人間の影を感じます。屛風という座敷飾りの調度品ですが、その装飾画を陰影にみちた、人間を語る美術品にしたこと。それが光琳という絵師が果たしたもっとも偉大な功績だと私は思っています。なぜなら日本美術において、光琳以前にそうした絵はありませんでした。

光琳は絵画と工芸との境界にまたがって天分を発揮した偉大な天才です。その集大成が紅白梅図だと言えます。単純化された水流の効果は、造形の魔術師としか言いようがない不思議な魅力になっています。絵画(純粋美術)と工芸(応用美術)の区別なんてどちらでもいい。西洋でも近代になって、ジャポニスムの影響を受けて、そういう考えが出てきました。

光琳は能からも影響を受けているそうですね。

河野
日本人の精神が生み出した能や謡曲、和歌、俳句などに、琳派の絵師たち、とくに光琳は大きく影響を受けていると思っています。光琳は若年から能に親しみ、かなりの素養がありました。象徴性や幽玄性の点で、能の美意識と共鳴しているのです。

しかも画面が非常にリズミカルなのは、能のリズムが影響していると思います。ワシントンで、ある音楽家から「音が聴こえる、リズムが感じられる」と言われたときは本当にうれしかったものです。

鑑賞する私たちのあり方も大事ですね。

河野
「人類の考え出した最高の美を観るときは、美術史家の書いたつまらない文章なんて読むな。読んだとしても一切忘れろ。その美の世界から出るオーラを感得するんだ」というのが恩師の山根有三先生の教えです。

と言っても、現代人はそれだけではおさまらないから、私は「自分の人生を重ねて鑑賞したらどうですか」と言っています。大和民族の伝統的な鑑賞の仕方は、絵の中に入り込んで感情移入を行って、自分なりの解釈を楽しむのです。様々な解釈を生むことが名画の最も重要な証明となるのです。

紅白梅図には、金地と銀地、白と赤、有機と無機、曲線と直線といったありとあらゆるものが対立的になっていますが、それが対立のままに放置されない。1つの世界を創っているところがすぐれているのです。ですから10や20の解釈さえ可能だと思います。

尾形光琳 国宝「紅白梅図屏風」 江戸時代 18世紀 MOA美術館蔵

類例のない岡田コレクション


MOA美術館には琳派をはじめ、日本および中国などの東洋美術約3500点が所蔵されています。これらのほとんどは、岡田茂吉が蒐集したものです。

日本・中国美術に関する限り、民間のものとして本邦随一なことは言うまでもありません。古代から近代にまたがる美術のあらゆる分野を集めた、この壮大なコレクションの全容は、おそらくまだ解明し尽くされてはいないでしょうが、美術と宗教が一体となった、地上天国を実現する場としての美術館構想など、世界で誰も考えつかなかったと思います。

河野
大自然の法則から逸脱してしまった人類を救うために、岡田氏は美術を心からいとおしんだのですね。そこには美術への限りなき愛情とともに、このように傑出した作品を外国に流出させてはならないという、日本人としての責務があったように感じます。それは宗教と言えば宗教だけど、もっと広い精神的な意味、活動であって、岡田氏はそういうものをめざしていたのではないかと思います。