インタビュー
光琳に恋した岡田茂吉
対談 金子啓明さん × 鎌田東二
金子啓明(かねこ・ひろあき)
日本大学芸術学部客員教授、東京国立博物館名誉館員。1947年東京都生まれ。慶應義塾大学修士課程修了。美術史専攻。『仏像のかたちと心 -白鳳から天平へ-』『運慶のまなざし -宗教彫刻の霊性とかたち-』(以上岩波書店)など著書多数。
鎌田東二(かまた・とうじ)
上智大学グリーフケア研究所特任教授、京都大学名誉教授。1951年徳島県生まれ。宗教哲学・民俗学専攻。石笛・横笛・法螺貝奏者。『神界のフィールドワーク』(青弓社)、『翁童論』(新曜社)、『宗教と霊性』(角川学芸出版)、『言霊の思想』(青土社)、『天河大辨財天社の宇宙』(春秋社)、『常世の時軸』(思潮社)など著書多数。
金子
琳派に限らず、日本の美術は基本的に自然を大切にします。自然に対して謙虚さや畏敬の念を持って、教えていただくという姿勢と、常に何かを与えてくれるものだという感謝の気持ちが、日本人には一貫してあると思います。古くからの日本の伝統として培われ、日々の生活の中で感性として蓄積され、それが一つの文化力になっていることが、非常に重要なことではないかと思います。
光琳のずば抜けた素晴らしい芸術は、そうした伝統と彼の天才性が結びつくことによって生まれてきた。その代表的な現れが、紅白梅図屛風ではないかと感じています。
鎌田
私は日本の美の原型は古今和歌集だと思っているのですが、その中に「生きとし生けるものはみんな歌を詠んでいる」という意味の言葉があります。人間だけが特別に詠んでいるんじゃなくて、あらゆる命あるものが歌を発している。そういうものが、紅白梅図の中から聞こえてくるようです。日本の風土の中で出現してくる形であり、生命の芸術みたいなものが仕組み込まれているように思います。
金子
日本の際立つ特徴は、四季をとても大切にするということです。四季の中で、心と感覚が結びつき、四季の移り変わりの微妙な感覚を常に体験することによって、自然に対する感謝が生まれてくるんです。そうした中から、非常に微細で微妙なやまと絵の風景画などが生まれてきます。こういうことは、ヨーロッパにも中国にもその他の国にもみられません。
こうした日本人の感性は、海外からいろいろなことが入って来る場合でも、そのことを肯定し、教えていただいたことに感謝し、それを自分の中で調和させながら新しいものを造っていくという、創造力につながっていると思います。
箱根神仙郷(火の聖地)・苔庭。岡田茂吉自らが琳派の美を取り入れてデザインした。
国の登録記念物(名勝地)に登録されている。 www.moaart.or.jp/hakone
紅白梅図屛風は曼荼羅の世界
鎌田
紅白梅図を観ていると、梅の季節に雪解け水が流れて来て、春のうごめきみたいなものが渦巻いている気配を感じます。梅がウッと伸びてくる音、水がバッと流れてくる音。春の色合いが全体を染め抜いているようです。
中央の黒い水流は、科学的調査の結果、銀箔が自然に黒くなったのではなく、意図的に黒くしたと言われていますが、私には緑に見えます。春になって冬の黒から緑がぐっと浮き立ってくるような、生命の淡い緑黒のような色彩を感じます。黒を讃えながら緑が湧き出てくるという、光琳の世界観ではないかと思っています。さらに、水流の中に、宇宙創成の爆発みたいなものを感じます。紅白梅図全体が、宇宙観を図形的に表現している曼荼羅図のように、いろんな要素が読み取れます。
金子
これはまさに曼荼羅のようにさまざまなものが複合し交差している世界ですよ。光琳以前に、これほどまで総合性をもった絵画表現はないと思います。
紅白梅図には、能などの物語をそのまま当てはめたというよりも、もっとそれを超えた世界があって、向こうから聴こえてくる言葉、声に力を見出しているように思います。その上での能の物語性や情動、そして、人間の奥深くにあるものを発見するという姿勢があるように感じます。
尾形光琳 国宝「紅白梅図屏風」 江戸時代 18世紀 MOA美術館蔵
紅白梅図屛風入手の秘話
鎌田
こうした光琳の宇宙観に深く共鳴していたのか、紅白梅図を入手した岡田茂吉氏は、光琳をこよなく愛していました。私は『岡田茂吉全集』の編纂委員をしていましたが、全集の中に「尾形光琳」と題した論文があるくらいです。
それを読むと、岡田氏は明治40年(1907年)、25歳の時に日本美術院に岡倉天心を訪ねているんです。それだけの美に対する鑑識と見識を持っていたことは、すごいことです。
天心は芸術村みたいなものをつくって、大観や観山などを育てていた。岡田氏は天心から将来の日本画に対する抱負を聞き、一晩語り会った観山や武山からは「美術院をつくった天心先生の意図は、光琳を現代にいかすにある」と聞いて、この段階ではっきりと、一種のイニシエーションを自覚したのだと思います。
金子
岡田氏は求道的な姿勢がとても強かったのですね。
鎌田
若い時に持っていた課題や問題性が、後に大本に入信して「世の立て替え、立ち直し」運動を経験することによって、現在の世界救世教の前身「大日本観音会」を立教します。戦後は「メシヤ教」に改名し、昭和29年2月4日の朝、紅白梅図を入手します。まさに立春の新しい展開に、この世の「夜昼転換」の到来を確信し、次のステージの救済を、今日から本格的に始動するとはっきり自覚する、重要な紅白梅図の入手過程であったと思うのです。
金子
この美的な体験によって、この時点から、新しい世の立て直し的な意味合が広がっていく。こうした、“今でなければいけない”という覚悟が、現代においてはますます大切になる姿勢だと思います。
岡田茂吉の芸術郷構想
鎌田
人間個人の健康と人間社会の健康、幸福というものをどうしたら実現していけるかという時に、岡田氏の重要なところは、問題全体をまるごと体系的に示して、世の立て替えのモデルを造りあげたことです。
鎌田
「生命の芸術」として、人間に備わっている“自然治癒力”を最大限に引き出し、直接「たましい」を浄める「浄霊」。「農業の芸術」として、“自然の持つ潜在力”を最大限に発揮する「自然農法」。人間に内蔵する“美的観念”を引き出し、「たましい」を向上させる「美の芸術」。この3つの柱を発信し続けました。
美術品においては、戦後の混乱期に海外流出を食い止め、最高の日本美術を展示する美術館を建設し、火の聖地、水の聖地、土の聖地という美の位置づけをした、地上天国のひな形としての芸術郷を造っています。その総仕上げとして、紅白梅図の入手を機に、いよいよ世に問えるという、自信と自覚を持ったのではないかと思うのです。
金子
美術品をすべて自分の眼で選び、それらをこの時代に披露することによって、人々が感動し救われていく。それが一つの時代、この土地における新しい絵画の出発なんだということで、単なる美術館ではなく、もう少し大きな意味の精神運動としての美術館だということが、今のお話の中から鮮明に分かります。
鎌田
地上天国とは、人々の暮らしが本当に真善美を体現することですから、その時に宗教を通って行く道もあれば、芸術を通して体現できる道もある。芸術は宗教的な要素も含んでいるけど、宗教教団の枠を超えて何かを訴えるものがあると思います。岡田氏は“宗教とは教えの一部であり、一番大切なことは地上天国をつくることだ”と実に適確に宣言されています。
熱海瑞雲郷(水の聖地)・梅園 www.moaart.or.jp
光琳は光と闇を含み込んでいた
鎌田
岡田氏の言われた「昼の時代」には、闇が輝かないといけないと私は思っています。どうして私たちが光と闇を持つかと言ったら、光が光であるために闇があるという、ダイナミックな構図があります。光があるためには、闇をくぐり抜けてはじめて、その光の持っている意味や美しさも含めて深く自覚することができます。現代の闇は深いけど、その深い闇を通過した時に、本当の光を深いところから見つめていくことができると思います。光琳の晩年作の紅白梅図は、光と闇を両方含み込んでいるように見える。命を持っている闇が光に浄化していくような力が、芸術の力だと思うのです。
金子
我々自身も、光もあれば闇もあるという自覚が必要です。個々の反映が時代の反映です。まさに人間の深い意味での地に沈んでいくような、あるいは地下の闇から出てくるような問題、特に心情の問題が内面にあるということを知った上で、何が自分の中において問題なのか、どうして光が必要なのかを各自が問うべきです。特に現代では、自分を単に委ねるのではなく、個々の主体性の蓄積の上に立っているということが重要な気がします。そのためには、人間国宝の志村ふくみ先生がおっしゃっているように覚悟が必要だと思うのです。